国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
川端康成『雪国』(新潮文庫)
の冒頭文で有名な川端康成の『雪国』ですが、初めて読んだときは何がおもしろいのかさっぱりわかりませんでした。
『雪国』をおもしろいと思うようになったのは、サイデンステッカーの英訳でYasunari Kawabata Snow Countryをプレゼントしてもらったのがきっかけでした。
日本語でわからなかったものを英語ですらすらと読めるはずもなく、辞書をひきながらゆっくりゆっくり読んでいきました。おかげで、比喩の意味を考えたり情景を想像したりすることができました。急いで読み飛ばしたりせず、時間をかけて味わうのが大切だったのだと思います。
エドワード・サイデンステッカーについて
サイデンステッカーは1921年生まれ、アメリカ出身の日本学者、翻訳家です。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などの作品を翻訳しました。源氏物語の翻訳もしています。川端康成はサイデンステッカーの英訳のおかげもありノーベル文学賞を受賞することになります。日本学者といえばドナルド・キーンも有名ですが、同世代の二人は親交もあったようですね(ドナルド・キーンは1922年生まれ)
川端康成について
川端康成は1899年大阪で生まれました。早くに両親を亡くし、祖父の家で育てられます。中学生の頃から小説を書き始め、東京帝国大学に入学すると、仲間と文芸誌をつくったりもします。卒業して横光利一らと「文藝時代」を創刊し、新感覚派と呼ばれるようになります。1968年(昭和43年)にノーベル文学賞を受賞しましたが、受賞から4年後、1972年に逗子の仕事部屋でガス自殺を遂げました。72歳でした。
日本の美を探求した川端は陶器や埴輪など古美術のコレクターとしても有名です。時折、各地の美術館で川端康成のコレクションの展示会が開催されていますよね。私も2009年に千葉市美術館で開催された「大和し美し 川端康成と安田靫彦」を見に行きました。大阪府茨木市にある川端康成文学館にもいつか行ってみたいです。
雪国について
作中に具体的な地名は出てきませんが、後に『雪国』としてまとめられる断章を書き始めた前年に川端は越後湯沢(新潟県)に旅行に行っていて、雪国の舞台になりました。新潟といえば小千谷縮(おぢやちぢみ)が有名ですが、作中にも縮について詳しく書かれています。
親の遺産で暮らしている島村と雪国の芸者駒子の交流が描かれています。駒子は島村に会えば会うほど離れられないようになっていきますが、島村は東京に妻子もいて駒子をどうすることもできません。また、キーパーソンとして葉子という女性も登場します。葉子と駒子がどういう関係なのか、葉子と行男がどういう関係なのかははっきりとは書かれていませんが、下記の図のような二つの三角関係が示唆されます。

島村は雪国へ向かう汽車の中で、行男を看病する葉子を見かけ惹かれます。窓に写る葉子と夕景色が一体になる冒頭の有名な場面を少しだけ紹介します。
the background, dim in the gathering darkness, melted together into a sort of symbolic world not of this world.
Yasunari Kawabata. Snow Country. Vintage Books.
風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。
川端康成『雪国』(新潮文庫)
トンネルを抜けると雪国ですが、そこは象徴の世界であることを示唆しています。この少し前にlike motion pictures(映画の二重写しのように)という表現がありますが、読者は島村と一緒に薄暗い映画館の中に入っていくように、美を抽出したような象徴の世界に入っていきます。
As it sent its small ray through the pupil of the girl’s eye, as the eye and the light were superimposed on the other, the eye became a weirdly beautiful bit of phosphorescence on the sea of evening mountains.
Yasunari Kawabata. Snow Country. Vintage Books.
小さい瞳のまわりをぽうっと明るくしながら、つまり娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮かぶ、妖しく美しい夜光虫であった。
川端康成『雪国』(新潮文庫)
pupil 瞳
superimpose 重ねる
weirdly 不気味に
phosphorescence 燐光、青光り
新感覚派と呼ばれる川端らしい表現です。このような表現をおもしろいと感じるかどうかで雪国を楽しめるかどうかが分かれます。雪国はこのような比喩表現のオンパレードだからです。
雪国の冷たい美しさが人物の描写にも心情表現にも染み渡っていて、読んでいるといつの間にか川端の感覚世界に耽溺しています。
そして、ラストは映画館(繭倉で上映していた)が火事になり、葉子が二階から落ちてくるという衝撃的なシーンなのですが、映画のように葉子と火で始まった物語は、映画館の火事と共に葉子と火で唐突に終わります。

洋書と翻訳を対比させながら読むのは、英語が苦手な人でも洋書を読む一つの方法ですし、とても良い勉強になります。同様に、日本の小説を英訳で読むのも、日本語のおもしろさと英語のおもしろさを同時に感じることができるのでおすすめです。
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