いつの時代も本は多くの人を動かしてきましたが、読書をすることで強力な動機付けを得ることができます。本を読むことで人生が変わると言いますが、どういう形であれ読んだ人に影響を与えるのは間違いありません。

今回は大人も子供も、何かを学ぼうという気持ちの高まる自伝文学を紹介したいと思います。
エリック・ホッファー自伝
沖仲仕の哲学者として知られるエリック・ホッファーの自伝です。
ホッファーは18歳の時に親を亡くし、それから放浪や労働をしながら独学で読書や勉強を続けていきました。職業紹介所に通ったり、農園で果物を収穫をしたりしながら、ドストエフスキーやゲーテを読み、化学、物理、数学、地理など様々な学問も大学の教科書で勉強していました。
植物学の勉強をしていた時期に、ホッファーは給仕係のアルバイトをしていました。偶然テーブルで本を読んでいた大学教授にドイツ語の翻訳を手伝ってあげたのをきっかけに柑橘類研究所で雇われ、そこでレモンの病気を解決する発見をしたりもします。
本書の中で、ホッファーは希望ではなく勇気ということを言います。
自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。
『エリック・ホッファー自伝』(作品社)
ホッファーは出世や安定には興味を示さず、自分の興味のある勉強を続け、人生とは何か、社会とは何か、ということを考え続けました。常に労働の現場に身を置きながら勉強を続けたホッファーの姿にはとても勇気をもらえます。
40歳からの25年間は港湾労働者として働きながら『大衆運動』や『現代という時代の気質』などの本を出版していきます。
ホッファーといえば、下記の言葉が名言としても有名ですね。
激烈な変化の時代において未来の後継者となりうるのは、学びつづける人間である。
『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』(作品社)
学ぶことをやめた人間には、過去に生きる術しか残されていない。
これは私自信が肝に銘じている言葉でもあります。仕事で子どもたちと接するときは、学んだ人間ではなく学び続ける人間を育てることを常に心がけています。そして、そのためにはまず自分自身が学び続ける人間であることを忘れないようにしたいです。
マルコムX自伝
黒人解放運動の指導者マルコムXの自伝です。
彼の人生はかなり激烈です。若い頃はハスラーとして生活し、麻薬を常用し強盗などを重ね逮捕されます。もうすぐ21歳になろうというところでした。
獄中で手紙を書こうにも満足な表現ができない。そこで彼は独学で勉強を始めることにしました。最初に取り組んだのは辞書を書き写して言葉を覚えることでした。そうして言葉を覚えた彼は読書にのめり込んでいきます。消灯後も廊下の明かりで読書を続け睡眠時間は3時間か4時間という獄中生活を過ごします。
読書が開いてくれた新しい視点のことをよく考える。私がまさにこの獄中で知ったことは、読書が永遠に私の人生を変えてしまったことだった。今日ふり返ってみると、読書は私のなかに長いあいだ眠っていた思索的に生きる欲求を呼び覚ましたのだ。
『完訳マルコムX自伝』(中公文庫)
黒人の歴史に関する本だけではなく、ショーペンハウエル、カント、ニーチェ、スピノザなどの哲学、シェイクスピアやミルトンなどの文学作品も読みました。
こうして言葉と思想を手に入れた彼は、後に黒人解放組織「アフロ・アメリカン統一機構」を設立しますが、活動の最中で暗殺されてしまいます。
「ペンは剣よりも強し」とよく言いますが、『マルコムX自伝』を読むと、読書と言葉は戦うための武器であるということを強く思わされます。マルコムXは「出身大学は?」と聞かれ「本です」と答えています。日本社会で生きていくには学歴も必要なのかもしれませんが、学ぶとはどういうことなのかを考えされられます。
私が学生の頃は、窪塚洋介さんが主演した映画『GO』の中で、腕をクロスさせて「マルコムXだよ!」と叫ぶシーンがあり、当時は本をあまり読まない同級生でもマルコムXの名前を知っていました。最近は若い人と話していてもマルコムXを知らないという人が増えてきたように感じています。
マルコムXはスパイク・リー監督の映画も大変有名です。興味のある方には映画もおすすめです。
福沢諭吉『福翁自伝』
『福翁自伝』は言わずと知れた福沢諭吉の自伝です。上記の2冊よりも日本人には馴染み深い人だと思います。
自伝を読んでみると福沢諭吉が本を読み始めたのが意外に遅いということがわかります。
「年十四、五歳にして始めて読書に志す」という章がありますが、近所の皆が読んでいるので、自分も読まなければと思ったのがきっかけです。
「みんながやっているから自分もやるか」というのは子どもが勉強するきっかけとしてはよくあることだと思います。福沢諭吉ですらそうだったというのは何だか安心します。とはいえ、そこは福沢諭吉。塾に行って孟子とか論語とかを読んでみれば先生に勝ってしまうという才能を発揮します。
福翁自伝は、「酒が止められない」など自分のダメなところをさらけ出すスタイルの文章で、読者も笑いながら読んでいくことができます。ユーモア溢れる文章の中に、彼の輝く才能や圧倒的な努力を読み取ることができるようになっています。自慢にならないようにわざと自分を低めて描写しているのだと思います。まさに能ある鷹は爪を隠すですね。
そして、ペリー来航の頃、諭吉は十九歳で長崎に行き蘭学と出会います。そこで初めてabcを習い、原書に取り組んでいきます。現在のように、わかりやすい参考書や単語集などあるはずもなく、そんな時代にオランダ語の原書を読めるようになるというのは並大抵の努力ではないと思います。
蘭学修業の事は扨置き、抑も私の長崎に往たのは、唯田舎の中津の窮屈なのが忌で/\堪らぬから、文学でも武芸でも何でも外に出ることが出来さえすれば難有いと云うので出掛けたことだから、故郷を去るに少しも未練はない、如斯処に誰が居るものか、一度出たらば鉄砲玉で、再び帰て来はしないぞ。
『福翁自伝』
このように外国語を学ぶことは彼にとって外の世界に出る手段のひとつでした。外の世界に出るためにも、成果を出す、大成するという相当の覚悟があったのではないでしょうか。
地元に帰りたくない諭吉は、次に大阪の緒方洪庵の「適塾」で学ぶことにします。
適塾でも彼は頭角を現し最年少で塾長になりますが、調理道具がなくて洗面桶でそうめんを食べたり、実験で作った塩酸やアンモニアで大変なことになったり、適塾時代はおもしろいエピソードがたくさんあります。
そんな中でも私の心を打ったのが「塾生の勉強」という章です。有名な話のでご存知の方も多いと思いますが少し引用します。
是れまで倉屋敷に一年ばかり居たが遂ぞ枕をしたことがない、と云うのは時は何時でも構わぬ、殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからと云て寝ようとも思わず頻りに書を読んで居る。読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突臥して眠るか、或は床の間の床側を枕にして眠るか、遂ぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどゝ云うことは只の一度もしたことがない。
『福翁自伝』
試験前に夜遅くまで勉強をして机につっぷして寝てしまった経験は誰にでもあると思いますが、それを1年間続けるとなると話は別です。勉強の効率や睡眠の質などを考えると、あまり真似しない方がいいかもしれませんが、勉強というものはそれくらい専心して取り組むものなのだといことを教えてくれます。
福沢諭吉はずっと苦学生でした。使用人をしたり家庭教師をしたり写本をしたり家財を売ったりしながら勉強を続けました。忙しくても働きながらでも勉強はできるということを教えてくれます。
子どもたちであれば部活があったり習い事があったりで忙しい毎日でしょうし、大人であれば働きながら読書や勉強をするのはとても大変なことだと思います。そんな中でも誘惑に打ち勝って勉強に向かいたい。そんな時は福沢諭吉の自伝を読んでみてください。

今回は、実際に私が強く影響を受けた三冊を紹介しました。興味を持ってもらえたら嬉しいです。みなさんもお勧めの自伝文学があればぜひ教えてください!
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